原著1955年のアメリカ政治学の古典中の古典。文章は難解。おまけに、政治学の常識を前提にしているので、ロック以下、政治学者、哲学者、歴史家、政治家等の指名が縦横無尽に言及されますが知らない人ばかりで、正直読むのが大変です。
理解できた範囲で、大まかに言えば、ヨーロッパとは異なり、歴史上封建制度を経験していないアメリカは、「生れながらの自由主義社会」であり、自由主義を絶対化した国民的信念「アメリカニズム」の支配する国であることです。
封建制度が存在していないアメリカでは、その「反革命」の発生を 心配しなくて良い訳ですが、同時に社会主義の「革命」も心配する必要はありませんでした。絶対化された自由主義のアメリカニズムの下では、保守派<ホイッグ>は、存在していない封建制度から脅威を受けることもありませんし、すり寄ることもできません。また、革新派<デモクラット>も社会主義に影響されることはありません。何故なら、アメリカの、小資本家、土地保有農民、プロレタリアートは、みなプチブルジョアジーとしての強いアイデンティティーを有しており、プロレタリアート階級の階級闘争は発生しようがないのです。
大恐慌時に、久々にデモクラトはホイッグから政権を奪うとともに、ニューディールという改革政策を実行します。しかし、一見この社会主義的政策も、実態はアメリカニズムのなかでの、プラグマティックな実験にすぎず、社会主義とは無関係ものであったことが論じられます。(当然、ホイッグは「社会主義」「共産主義」といってデモクラトを非難しますが)
その後、ホイッグは政権を奪還します。この中で、かつてパリコミューンに冷淡な態度をとっていたアメリカは、ロシア革命に対しては、完全に否定的な態度をとります。絶対化された自由主義にたいする脅威と見えたロシア革命から冷戦の発生は、米国内部には過激な政治ヒステリーを巻き起こします。「赤狩り」です。この現象は、マッカーシーの様な特定の政治家の資質によるものではなく、絶対化されたアメリカニズムに根源をもつものです。米国外部に対しては、絶対化されたアメリカニズムが外国においても普遍的価値をもつと考え、諸外国と軋轢を起こしていくことになります(日本や西ドイツの占領が引き合いに出されています)。
この後、著者は、アメリカが諸外国との接触を続けることで、絶対化されたアメリカニズムを相対化することで<成人になる>であろうといっています。米ソ冷戦下での、アメリカの進むべき道は、そこにあると考えていたようです。さてハーツのの著作は1955年ですから、本書はここで終わりです。
そこで、この後のアメリカを追ってみましょう。この後のアメリカは、公民権運動、ベトナム反戦運動等を経験し、<成人>の道を進んでいたかのように思われました。
しかし、レーガン政権の誕生から、再び逆転が始まりました。ホイッグの再興、アメリカニズムの世界への絶対的適用が開始されます。
ブッシュJrの9.11以後は、かつての赤狩りの集団ヒステリーが再発したかのようです。国内の反戦派反対派はもちろん、反対意見を持つ欧州諸国への激しい非難、捕虜にしたテロリストは、犯罪者としての人権も、戦時捕虜としての人権も認めないという、非論理的な行動。
しかし、2008年再び針が触れます。デモクラトの反撃、オバマ大統領の誕生です。オバマの政策は、改革政策です。そんな中で現在争点となっている、医療保険改革。オバマ大統領はプラグマティックな政策として進めているわけですが、ホイッグの政治的反発として「社会主義」「共産主義」という言辞を弄しています。ニューディール政策とその反発の過程と同じです。一方、オバマ大統領の誕生自体、アメリカニズムの<成人>への歩みを期待させるものです。
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